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土山茶

つちやま茶のいわれ

土山茶の起源は、南北朝時代の文和年間に、常明寺の再興の僧といわれている鈍翁了愚(りょうぐ)が
京都の大徳寺からお茶の実を持ち帰り自家の畑に植えたのが始まりと云われています。

しかし、当時は、自家の飲料としての茶の栽培でした。それが、江戸時代の寛文年間(1661~1672)に
永雲寺の僧天嶺(てんれい)が同じく大徳寺より茶の実を持ち帰り、寺の近くに茶園を造り「高座園」と名付けて栽培、
とれた茶を自家の飲用としてだけではなく、村人にも分けてやったり、時には旅人にも売ってやったりしたそうです。

その後天和年間に天嶺和尚は、初代松山佐平治に茶の栽培法を伝授し、それを受けた松山佐平治はさらに工夫・改良を重ねて
大量生産の製法を考案、「あけぼの茶」と銘打ち販売を軌道に乗せたと云われています。

それが江戸中期の寛永年間で、この頃になると東海道を通行する旅人も多くなり、茶の販売も増え、
次第に土山の宿の名物になっていきました。
その後、安政五年(1858)の日米修好通商条約が締結されると、お茶が貿易品のひとつとして外国に輸出されることになり、
土山茶も大量に輸出されるようになりました。これに伴い、土山地方には茶園を栽培する農家が増加し、
今日の土山茶の産業基盤ができました。

「宿場町つちやま-土山宿を歴史する-高橋慶一」より


常明寺

永雲寺

永雲寺茶室「蓬莱庵」

「あけぼの茶」の名付けられたいきさつ

江戸時代、権大納言、姉小路(あねがこうじ)公文が永雲寺を訪れ詠んだ和歌「たぐいなや もてはやすてふ 若草の 緑にかすむ 曙の山」から「曙の山」と「茶」を結びつけて「あけぼの茶」としたと言われています。


茶葉を摘む

永雲寺に伝わる姉小路公文の和歌

生葉を蒸す

蒸し葉を冷やす

蒸し茶葉を揉む

乾燥した葉を茶壺に詰める
「滋賀県管下近江国六郡物産図説」(1872年:滋賀県)

土山茶 販売MAP

土山茶ゆかりの常明寺、永雲寺とともに銘茶を求めて旧東海道の散策をおすすめします。

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