ふるさとを訪ねて

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五瀬村
記:高橋慶一氏

いにしえの五瀬村

甲賀郡史に南土山の常明寺は和銅2年(奈良に都ができる1年前)から4年に掛けて七堂伽藍の整った寺院として五瀬村に建立されたとある。
このことから、五瀬村は奈良時代にはすでに村落の形を成していたといえる。
昔の五瀬村で第15代の常明寺住職だった俳僧『虚白禅師』は晩年、文政年間に五瀬山の中腹に草庵「芋軒」を結んでいるが、その「草庵記」に次のように述べている。
(あら金のつち山なる西に川あり。内の白川という。川の南に一村あり。五瀬村とよぶ。住吉は御所村と言ひし。農家廿竃に未たず。富田・増山の二姓の外他姓をまじえず。故ありて交役をゆるさる。木樵を業とし、筏をさして時にみずうみに浮かぶ。)と。
つまり五瀬の昔は松尾川や田村川の水量は今より多く、材木・筏流しの集積地となっていたといえる。
生業として農業と木樵をしていたが助郷などの出役を免除されていた。村の戸数は20戸足らずで変化も少なく、また姓の交流も見られなかった。
五瀬村は明治12年4月より土山村の一大字となっている。
昭和20年頃から戸数も徐々に減り続け、昭和40年を境に全くの廃村となった。今は五瀬山の登り口に村人の墓石が寂しげに佇んでいる。