ふるさとを訪ねて

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松の尾
記:高橋慶一氏

知られざる立場の賑わい「松の尾」

土山宿の西端は三年坂と言う。坂の途中右側に馬頭観音の祠があり、やがては広い河原へと下る。川の名前を『松尾川』と言う。
この川は江戸時代、冬期は土橋がかかっていたが、3月から9月末までは徒歩で渡っていた。川を渡って登る坂を灰俵坂と言った。
坂を上がった平地が松尾村という立場である。
立場と言うのは、宿と宿との間にあって、馬子や旅人が杖を立てて休憩したところからついた名である。
坂を上りきったところに鈴鹿馬子唄の歌詞を刻んだ石碑が一基、東海道の証であるかの如く建っている。
1806年に幕府が出している「分間延絵図」という街道の絵図をみると、松尾村の南側には40棟、北側に20棟、戸数にして40戸ほどの家が建ち並び、村の中ほどに高札場もあったことが描かれている。また、茶店も数軒あり、今の松尾村の民家の数からみると想像しがたいが、かなり賑わった立場であったことが推測される。
『諸国道中旅鏡』(1848年)には、「いもがけどうふ有、道中二番目の名物と云」また、『諸国道中袖鏡』(1839年)には、「めんるい有、道中二番目の名物と云」そして『道中記』(1857年)には「松野尾村まいの村、甘酒有」などと松尾の茶屋が多く紹介されている。
そして松尾から前野までところどころに茶屋があったことも分かる。
1879年(明治12年)3月、現在の国道1号の白川橋の約50m下流に新道を開いて新しい橋が架けられると、人と物の流れも大きく変化し、松尾村の立場としての賑わいも徐々に過去のものとなっていった。