江戸時代の旅
記:高橋慶一氏
江戸時代の旅・人気スポット生野
- 土山宿の東玄関は生里野である。江戸時代に刊行されている旅行案内書や紀行文に生里野の名は、いろいろと出てくる上にいろんな顔を見せる。生野、生里野、幾野などである。
- 『伊勢参宮細見大全』には、「生野村、この村鶏を飼わず。朝米をかさず。氏神の掟と言いならわせり。」
『東海道名所図会』には、「名物には指櫛、また田村川という名酒あきなう家あり。」
『諸国道中袖鏡』には、「いくりのの村、茶屋有。櫛所多し。そば二番目の名物と云。」
『道中記』では、「右のほうに田村大名明神の宮有り。外の白川。うどん、そば切り有、道中二番目也。」
鈴鹿峠を越えて歩くこと一里余り、着いた宿場土山には旅の疲れを癒してくれる茶屋が並んでいる。
東海道一二を競うそば、うどん、その上お酒や甘酒まである。食道楽でなくても魅力いっぱいの生野である。
また土産物にお六櫛やあけぼの茶、蟹が坂飴など、買って帰れば家人に喜ばれそうだ。
『改元紀行』に、(杉立てる中を行くに田村大名明神の大門なり。土山の宿に入りても櫛売る家多し。土山亀井櫛、または御櫛処お六櫛、御三ツ櫛などと書ける札を出せり。)今でも「三日月屋」「十三屋」など、屋号の書かれた看板が軒下に見えている。
櫛を扱っていた商家であったのだろう。明治20年頃までは街道で売られていたらしい。
江戸初期の俳人上島鬼貫も生野で買った指櫛を身につけて鈴鹿峠を越えていったのだろう。生里野地蔵公園に句碑がある。
京へ十五里、江戸へ百十里の生野村である。