ふるさとを訪ねて

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伝説の里「蟹ヶ坂」
記:高橋慶一氏

伝説の里「蟹ヶ坂」

昔、歩いて鈴鹿の山を越えるのは大変な苦労でした。急峻で細い坂道。
その地形を悪用して旅人を苦しめたのが鈴鹿山麓を巣窟にする山賊の一団でした。
坂上田村麻呂が鈴鹿の山賊を退治したのは平安初期(今から1200年ほど前)、蟹が坂にも山賊退治の言い伝えが残っています。
これも平安時代と考えられます。蟹退治伝説は江戸時代に出版されている東海道の紀行文に出ています。
そのうちの二つを紹介しましょう。

(1)「東海道名所記」万治元年(1658年)浅井了意著「蟹が石塔は左の方にあり。松二本うえたり。昔ここに妖怪ありて往来の人を悩ます。あるとき*会解僧ここを通りけるに、かの妖怪出たり。僧は問うた。汝何者か名乗れ。化け物は答える。両手空を指し、双眼天につけり。八足横行し楽しむ者なり。僧悟して曰く。 (中略)汝蟹ではないのか。言われて姿表しつつ戒をさずかり、おのれの悪事を詫びる。そのしるとて、今に石塔あり。」と。
*会解僧:学問修行中の僧

(2)京の偉いお坊さん*恵心僧都の蟹退治の話 「蟹が坂辺りに大きな蟹のお化けが出て旅人を襲ってくることを聞いた恵心僧都が蟹退治にやってくると、化け物蟹は僧都に向かってきた。僧都が天台宗の往生要集を持ち、声高らかに唱えると、蟹の甲羅はバラバラと砕け散った。 僧都は石塔を建てて、蟹をねんごろに弔うようにと告げて京に帰って行った。」
その後里人は蟹の甲羅に似せて作ったべっこう飴を厄除けの飴として東海道を旅する人に売るようになりました 。
蟹が坂飴とか山中飴と称して人気があったようです。
*恵心僧都:清水寺にもおられた実在の僧。